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【安倍晴明神社】

大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町5街区
一条天皇の命により 寛弘2年(1005年)晴明生誕の地に創建されたと伝えれております。 阿倍野の住宅街のど真ん中にある神社です。
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筋を一進むと阪堺の路面電車が走っている。
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大阪の古き良き町並みがありました。 突然昭和30年代にタイムスリップした感があります。
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安倍晴明公は古代豪族安倍氏の出で、伝説では平安時代の 天慶7年(西暦944年)3月辰の刻に阿倍野に誕生せられ、又一説では延喜21年(西暦921年)ともいわれている。
幼名は「安倍童子」、資性英明で学問を好み、京都に上がり陰陽家賀茂忠行とその子息保憲に師事し、陰陽推算の陰陽道を修め、天文博士、陰陽頭(オンミョウカミ)、播磨守等を歴任して、従四位上に叙せられました。

安倍晴明公は天文を見てあらゆる事を占い、花山天皇の退位を予知したり、大江山の鬼退治を指導した事は有名で、百占奇中神の如しと称せられました。 また職神(一種の精霊)を自在に駆使したといわれ、そうして説話が「今昔物語」等に伝えられています。
子孫は土御門家を称し、代々陰陽頭となり江戸時代でも幕末で造られた暦は一旦朝廷に送られ、土御門家が暦注吉凶を加算した上で領布された。
また晴明公は寛弘2年(西暦1005年)、9月26年京都の堀川邸で亡くなり、(享年62歳、系図では85歳)。
堀川邸跡(京都市上京区堀川通一条上ル)は現在晴明神社と成っている。
また墓所は上京区嵯峨天龍寺の近く(旧境内)、長慶天皇陵の縁部に現存している。 正式名は「晴明神社飛地境内」です。
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晴明神社飛地(京都市右京区嵯峨天龍寺) |
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いまでも、お参りの人が絶えない、生花が供えられております。 |
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阿倍晴明の墓所のお隣には長慶天皇陵があります。
菊の御紋が金色に光っていました(撮影平成17年10月5日)
(宮内庁管轄)
阿倍晴明は予言で1,000年後にまた蘇る!!と言った → 実現!!
晴明は西暦1005年に亡くなりましたが、生前に「私は1,000年後にまたこの世に蘇る」と言っていたそうです。 平成17年9月26日に安倍晴明、一千年期の祭典が行われ晴明の等身大銅像除幕式が挙行されたのです。
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神社に入ってすぐ右側に銅像が出来ました。 |
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安倍晴明公の等身大銅像です。 |
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晴明の命日(9月26日)に行われる神幸祭(しんこうさい)の絵図
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晴明公の晩年の姿といわれております。
平成17年9月30日撮影
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ここは阿倍晴明の生誕地
神社のあるこの地は晴明の生誕地です。 そこに次のようなお話が伝えられております。
むかし、阿倍野村の安倍保名(あべのやすな)が信太山の信田明神に参詣に行きました。 神社の境内で休憩しているとき、狩人に追われた一匹の白狐が保名の足元に隠れました。
狩に来ていたのは、騎馬の武士とその家来たちで、白狐をかばう保名は彼らと争いますが、多勢に無勢で保名は傷を負ってしまいます。
争いの最中に白狐は姿を消しますが、従者とはぐれた保名は帰途、美しい村娘の葛の葉(くずのは)に出会い、手厚く介抱されました。
阿倍野村に帰った保名は受けた傷がともで病の床についてしまいました。 と、ある日忘れかけていた葛の葉が看病に現れました。
実は葛の葉は人間に姿を変えた白狐ですが、保名と葛の葉は愛情が通じ合い、結婚して子供の「安倍童子」が誕生しました。
幸せな月日が流れ、ある晴れた秋の昼下がり、童子を寝かしつけていた葛の葉は、うつらうつらまどろんでいるうち、つい気がゆるんだのか、狐の身体の一部を表してしまいました。
子供が自分の姿を見て、おびえて泣いていたのを知った葛の葉は、自分の正体が露見するのをおそれ、泣く泣く分かれる決心をします。
葛の葉がいよいよ家を出るとき、縁側の障子に:
「恋しくば尋ねきてみよ和泉なる信田の森のうらみ葛の葉」
の一首を書き残しました。
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童子は父の(保名)とともに母狐を探し求めて森をさまよううちに、母狐が現れて童子に霊力を授けた。
左の図は
晴明の母といわれている「葛の葉姫」、くずはのひめ。
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阿倍童子は後の安倍晴明ですが、少年期に京都に出て天分、暦法。占術などを修めます。 師の推挙で陰陽師として宮中に出仕し、天変地異などを予知したり、宮中の大切な行事の日程や方法を占います。
また、百鬼夜行といわれた時代、大江山の鬼退治など、都の人々の不安の解消に活躍いたしました。 今昔物語は晴明の予見力を:
「その占いは神のごとし」
と書いております。
阿倍晴明神社へのアクセスは:
地下鉄御堂筋線、昭和町駅下車 徒歩約15分
阪堺上町線、東天下茶屋下車 徒歩3分
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